思考錯誤屋の呟き

「日々の事柄」を適宜更新中。

あれかな?

140字の制約で、雑な文章しか書けなかった人が多いから、あっちは荒れたのかな?
長ければ良いってものでもないけれど。文章力の拙い人でも、長文なら何かしら残せるし。
読解力の未熟な人も、長文なら多少本腰を入れて読むだろうし。
短ければ、脊髄反射は簡単だけど。長い分、脳へ届く言葉もあるのかも?

見えるもの。
聞こえるもの。
読めるもの。
触れるもの。
それが世界の全て…じゃない。見てないもの。
聞こえないもの。
読めないもの。
触れないもの。
そして、
わからないもの。これらの方が、圧倒的に多い。

意見や思想、思考諸々。
違うのが当然だし、反対意見もあるだろうし。
それは、当然のこととしても。
一対一の会話に参加したいのなら、土俵は合わせて欲しい。
自論をぶちまけたいのなら、それは他でやっておくんな。

アドバイスっての。
今日では、助言とか忠告の意味からも離れているのかも知れないけれど。
元を辿れば、「私の意見」とか「私の見方」でしかなく。
「相手のことを思って」なんてのは、何処にも含まれてないのよ。

まぁ、あれだな。
日本語としてある言葉をカタカナ語に置き換えた時点で、使っている当人が良く解ってないことの証明なのよね。
まぁ、いいけど。

脊髄反射が溢れる社会に、いつ頃からなってしまったのだろう?

みんな、みんな。
人ではあるのかも知れないけれど、人間としての自覚。忘れているでしょ??

人間って、もっと理知的な生き物だと思っていた遠い昔。
人も、もちっと賢いと思っていた。
Homo sapiens と名付けた者の、最大限の皮肉…かもなぁ。

新聞が、書けば書くほど。
テレビが、映せば映すほど。
ラジオが、騒げば騒ぐほど。
書いてないこと。
映さないこと。
騒がないこと。
が、気になって、気になって。
ひとしきり調べてしまう。

スッカスカな文字列はスッカスカなりに、選ばなかった言葉があるし。
伝えたくないことは、きっと山ほどある。


~~10月24日のスレッズより