思考錯誤屋の呟き

「日々の事柄」を適宜更新中。

戦争も人間同士のいざこざの延長だけど。

争いを是とする神様やら仏様やらなんちゃらの存在ってのは、全く要らないのよ。
もしも人間が進化できるのなら、信仰対象も進化しないのものかな?
異なるもの、異なる思想、異なる崇拝対象。それら全ての共存を是とできないものかな?
夢想だとは思う。
でも、争いを是とする信仰対象は要らない。全く要らない。

他所さんの宗教を根掘り葉掘りする訳じゃないが。
神話に続く要素があるとなると俄然興味があって。
イスラム教、キリスト教ユダヤ教の神様は共通の「唯一神」と言うのが、後世に確立された教義としても。
「唯一」であるはずの神様の名詞が、複数形のもあるのよね。
「唯一」なのに単数形ではなく、複数形。
遡ると、後のユダヤ教に繋がる宗教とその基となる神話があり、その神話には多彩な神々が出てくる。
複数形の名詞が残ったのは神話の名残とも考えられるし。
そもそも神話を生んだのが人間なら、その神話を宗教へと変えたのも人間で。
宗教へ至るまでの間に、どれだけのドラマがあったのかな?と。

ここでも、あっちでもなく。
ブログを通じて、とある宗教の信者さんと会話をしたことがある。
創造者という存在を深掘りすることになったのだが、先様はどうあっても経典から離れることをしないのよね。
もちろん、それが拠り所ではあるのだろうけれど。
多くの既存宗教の経典って、開祖が書き残した物ではなく、のちに編纂された物である以上、編者の解釈や意図がどうしても入り込む訳で。加えて、長い歴史の中、改編もされているとするなら、経典に『答え』を求め続けるのは些か無理があるかな、と。
結局、会話は平行線…と言うか、ねじれの位置で終わってしまった。
今も、あの信者さんの拠り所は経典なのだろうか?


~11月2日のスレッズより