思考錯誤屋の呟き

「日々の事柄」を適宜更新中。

ハル持つキミへ。

自己を破壊してしまふ人は、他者の中に潜む陰の部分をも自らの中に取り込んでしまう優しさゆえ、なのかも知れないね。

此の地球と言う名の星の上で、ほんの僅かの富める者と、圧倒的多数の貧しき者達。
醜い争いと下らない競争と。少数の悪意と不条理と。人の生き死にさえ取り込んだ経済システム。
突き刺さる他人の眼。襲い掛かる言葉。塞げない音。閉ざし切れない心。

他者に向ける刃を自らに突き刺し、崩壊する精神を、醒めた目で見続ける自我。
「生きるコト」に執着する、己が肉体の拒絶。痛みと言う名の主張を脳に伝える神経組織。

僕は「破壊を止めろ」とは言わないし、言える立場に無い。
かつて歩んだ道だから。


此の世に生を受ける前、自らに課した目的を、模索しながら足掻きながら達成させるのが、「此の世と言ふ世界の存在理由」。

とは言え、此の世で「自らに課した目的」を達成出来るのは、一握りの者だけ。

目的を達成できず肉体の寿命を迎える者や、不慮の事故や病気で棄権する者だって多く。中には、自ら心臓の鼓動を強制的に止め途中棄権する者も居るけれど、達成できない者達は、皆、いつか同じ課題を繰り返す。
ただ、其れだけのコト。たった其れだけの、単純な仕組み。

今が辛く苦しく、逃げ出したい程の孤独の檻に鎖されていても、其処から逃げ出すつもりで、己が命を放棄した処で、同じ辛さや苦しみを幾度と無く繰り返すコトを、キミは望むのかい?


取り消すコトの出来ない、課題。
誰もが、いつかは通過する課題。


勿論、全ての者が此の世に生まれ来る訳ぢゃなく、中には目的を見出せず、彼の世に留まる者も多勢居るし、其れで誰かに咎められるコトも無い。
けれど、いつの日か「目的」を見出して、此の世を目指す。
それが何故か、何ゆえ「目的」を見出してしまうのか、何ゆえ彼の世に留まらないのか。僕には判らない。


僕が知っているコトは、此の程度。
信じるも、信じないも、キミ次第。

此の世から消え去るのも、キミの自由意志。
瞬間の刹那を求め「今!生きている苦しみからは、解放される」コトを望むなら、其れも由。

消えた後に続く永遠に等しい後悔に漂うキミ達を、僕はただ、時さえも凍りつく絶対零度の冬から見つめるだけ。此れが僕の課題。