明日自分が居なくなっても、外の世界は変わらず其処にあるのだろう。
ただ。
内なる世界は私と共に消えるのだろう。
外と内と。
分けているのは、私と言う存在。
私の脳。
私の心?
交通事故などの後遺症で人格が変わる例があるけれど、あれは、心も変わってしまうのか知らん?
人は、強くなきゃ、いけないの?
人は、優しくなきゃ、いけないの?
人生の道が、見えた様に思えた時期がある。
結局は幻に過ぎなかったと、今だから言える。
でも、最中にいる時は其れが分からない。
時は、至極単純で、素敵過ぎるほど残酷で。
性格が明るいと言われる人は、きっと明るい遺伝子を持っているに違いない。
同様に、性格が暗い人は暗い遺伝子を持っているのだろう。
だから、体質と性質の何処かしら違う自分を演出すると、破綻をきたし易くなるのだろうな。
演じている自分は、自分なのか?
という疑問。
演じられている自分は、やはり自分なのか?
という疑問。
自他の境界線は、肌の皮一枚か?
対人間の空気か?
それとも、人、一人分の間か?
素の自分って、本当に素…なのかな?
鏡に映る自分は、自分?
それとも、、、
意識していないのに、勝手に口から声が、話しが出ている時って、あるだろう?
あれは一体、誰が喋っているのか?
老いは牢獄では無い。
若さは無謀では無い。
無知は罪ですか?
生まれ年の平均寿命からすると、「オサラバ」する迄、あと二十年を切っている。
二十年…か。
遡れば短く。
辿れば長く。
人生の終わりとは、とどのつまり、明日が消える事じゃなく、明日が来ない事だろう。
真実はヒトの数ほど溢れ、事象は一つに過ぎない。
なのにヒトは、自らにとって都合の良い真実のみ受け入れる。
事象の側面を見ずに、だ。
明日が昨日の繰り返しなら、「今日」は要らない。
脳は心を認識し。
心は脳を認知し。
裏切りは、期待の裏返し。
分からない、を問うのが宗教。
分かる、を求めるのが学問。
口は唯、言い続ける。誰かに。
人は言う、信じる、と。
…漢字の字面を並べただけです。ハイ。
〜〜4月13日の呟きより