パレスチナとイスラエル問題を、宗教や歴史の観点から見ることも大切だけど。
周辺国を含む資源問題から世界各国の動きを見渡すと、違う側面がいくらでもあって。
人間は欲望を『大義』で隠す行為が、ちらりほらり。
『世界の警察』と揶揄されたアメリカは、1994年に起きた虐殺の最中。
虐殺行為に対し「ジェノサイド的…」と。
「的」だよ。「的」。
当時も今も、何かっちゃアメリカやら西側諸国が「人道、人道、人道」。
本音は「アフリカにアメリカの税金を使って派兵するなんてありえない」と。
「人道」ねぇ…。
「国」に対して、まぁ色んな言葉が流れてくるのだけど。
そもそも。
「国」って何か、わかっているの…かな?
ゴリラにスマホを覚えてもらった方が、人より遥かにマシな言葉を貰えそうな気がする、この頃。
きっと。暴力は無くせないのだろうな。
偏見も差別も何もかも。
諦め、ではなく。
無くせない、ならば、どうやって共存するか?
ダメなものはダメ、ってのがこれまでだとしたら。
ダメなものはダメ、でもね、と。
『でもね』を模索している。
変えられない歴史に答えを求めたところで、そこに答えなどあるはずもなく。
探すのは因。
変えられる歴史は、今も自分たちの手の中。
未来の果を信じて。
因果の話をすると、スピ方面の方から、あーだこーだと来られるので、先に予防線。
因果応報が、前世の行いの結果は今世で。今世で達せられないなら来世で、となるなら、さ。
宇宙が生まれて百三十八億年。地球誕生から四十六億年。
一等最初の殺人が起きた時、被害者にどんな因果があったのかしら?
一等最初だから、その前は無いのよ。前世の行い云々の"前世"が無い。ただの被害者。
善悪なんてのは、神様仏様同様、人間が作った価値の一つ。
欲もあれば望みもあるし。
何も無いと言う人は「無い」を望んでいる訳だし。
一人、一人が違うから、一人一人に合わせた社会…なんてのは、今のところ無理だけど、全て画一で…なんてのはもっと無理で。
思想、信条、全てが異なる者でも、共存するためには、どうするか?
人類だけじゃなく、全ての生き物が生き延びるためには、どうすれば良いのか?
ってなことを考えつつ、茶を啜る。
『師を疑え』。
『経典を疑え』。
子供の頃、尊敬する御坊さんから教えて貰った、大切なこと。
今も大事にしている。
「空気を読む」のが得意な日本人がいーっぱい居るようだけど。
言葉の裏を読むとか。
行動の先を読むとか。
空気を読めるようになると、行間は読めなくなるのかしら?
パレスチナで爆撃を受け続ける街の映像を視ていて思うのだけど。
きっと居たであろう、犬や猫や鳥が、ほぼほぼ何処にも映らない。
そして、動物愛護団体の方の「抗議の声」も聞いたことがない。
もやもや。
為政者の犠牲は、人間だけじゃねーぞ!
~11月9日のスレッズより