思考錯誤屋の呟き

「日々の事柄」を適宜更新中。

人生の終わりって、いつなのだろう?

胎児に人権があるとしたら、それはどの段階まで遡るのか?
胚まで遡るとしたら、人生の始まりは、その時点か?
三億もの精子卵子目指す旅をし、一つが受精する。
受精に辿り着いた精子ではなく、もしも別の精子が受精していたら?
それは別の胚であり、別の胎児であり、別の赤子、人…。
とするのなら。
精子でさえ、始まりの一部だろうし。その精子を作り出した者も、始まりの一部とは言えないだろうか?
始まりを、遡れる限り辿れる限り遡り続けたとしたら、始まりの始まりは、いつの時点だろうか?
と、考え。
人生の始まりはいつなのかな?と、ちょい前に呟いたんだよな。

1945年3月10日。
東京上空に 344機の B29 が飛来し、0時8分、その日最初の焼夷弾が投下された。その量1665トン。
2時間余りで東京の 1/4が焼け野原となり、死者は 10万人を超えた。
激しく燃え盛る高温の炎の中、生きながら自然発火してしまう人が大勢いたと言う。
私の父が、何処をどうやって生き延びたのか?詳しくは知らない。
あの日。
父が生き延びていなければ、今ここに私は存在しない。
人の繋がり。
生きることの繋がり。
人生の始まり。

肉体の死は、明確に分けられない。
爪をパチリと切る。
今!自分(の一部)が、切られた瞬間に、自分(の一部)だったものに変わる。
ついさっきまで、自分だった、自分じゃなくなったもの。
それは、死か?

心臓が脈を打たなくなっても、脳は血管内の酸素を消費し続け、二十秒間くらいは活動し続ける。
心臓は止まった瞬間でも、脳は生きている。
それは、死か?

話しかけても返事はない、思い出の中の人々。
返事はないが、生き生きとした姿を思い出せる。
生き生きと。
それでも、死か?

人生の終わりって、誰にも思い出してもらえなくなった時。
…かもな。


~3月14日のスレッズより