かつて付き合った人とも、カミサンとも、大声を張り上げるような喧嘩をした覚えが無い。小さい喧嘩はあったのかも知れないが、実のところ僕自身は喧嘩と認識さえしていない。
時に人は、好いた相手、惚れた相手と喧嘩するそうだけど、それは何故何でしょうね?
心は、近付きもするし遠ざかりもする。
振り子のようなものなら、また戻ってくるけれど、実際は糸の切れた凧なのだろうね。
だから、昨日に縋っても、明日の扉は開かない。
「正解」なんて、時の数ほどあるから、人は縋りつきたいのかな?
自分の中に「正しさ」を抱いて、何とする?
〜〜11月20日の呟きより