幸福話も、不幸話も、そればっかりじゃいた堪れない。
自慢話も誰かの陰口も、そればっかりは聞きたくない。
たま〜に耳にする程度でいい話を、何故か人は、やたらとしたがる。
何故だろう?
不幸自慢して、自分を慰めて、他人に同情票貰って、それで満足できるようなら、その程度の自分って事だろ?
幸福自慢は胡散臭い。
不幸自慢は嘆かわしい。
生き様なんか、言葉の端々に、幾らでも滲み出てしまうものだろ?
此処電網界隈は言葉の集合体だからと言って、自分を偽り隠し通せると思う方が、どうか?と思うね。
〜〜7月23日の呟きより