思考錯誤屋の呟き

「日々の事柄」を適宜更新中。

「兵を殺してしまったという感覚は?」

あの文脈の一部が、何故、炎上するのか?
全体を俯瞰で見ぬ盲目どもが、戦争を始めるのだよ。
いつの世も。

兵士が、兵士を「殺せ」と命ぜられる。
それが、戦争。
命ぜられたら、逆らえないのか?
人が、見知らぬ相手を「命令」一つで、殺めて良いのか?
国の命令は合法で、組の命令は違法なら、その境界は何処か?

宗教において。
「隣人を愛せ」と教えつつ、異教徒を殺す。
異教徒は隣人では無いのか?
そもそも、殺し合いを、何故「是」と教えるのか?

撃たなければ、死んでいた兵も居よう。
逃げ出して、自国の兵に殺された兵も居よう。
でも。
人殺しを拒否して戦地から逃げる者を、何故、裁けるのか?
軍法は、人道より上か?

私の爺様は、敵地から逃げ出したと伝え聞いている。
自国の兵に捕まっていたら、今の私は居ない。
でも、爺様が逃げたことで、相手国の誰かは死なずに済んだ。
人を殺さない。
それが、本当の英雄だと、私は思う。

「兵を殺したという感覚は?」と問う者の。
戦争に対する執念を踏み躙る鬼が、群がる鬼共が。
いつか、きっと。
この世界を滅ぼす。

アフリカの、どこの国だったか忘れたが。
何十年と続く内紛を。
何世代にも渡る人殺しを。
ある時、止めることができた。
紛争を、おっ始めた連中が死に。
孫やひ孫の世代になって「何故殺し合うのか?」と皆が気づいたから、紛争が終わった、と。

殺人が悪ならば、百万人殺しても、それは悪で。
国家命令でも。
信仰上の理由でも。
それは、悪で。
基準を変えるのは、詭弁でしかない、と。


~~12月11日の呟きより