思考錯誤屋の呟き

「日々の事柄」を適宜更新中。

ひとりよがり

ネット上で何かしらのサービスを提供するなら、いい加減、どんなブラウザでも同じように表示されるように、デザインを根本から考えた方がいいよ。
特定のブラウザしか利用できないってのは、とどのつまり、利用者の視点で物事を考えられないから。
単純に言えば、自分の都合を押し付けているだけ。

時折ボヤくけどさ。
あなたの見ているものと。
わたしの見ているものと。
違うのよ。

同じ時同じ場所で同じ対象物を見たとしても。
みんな別の物を見ているのよ。
百人居れば百通りの。
一億人居れば一億通りの。

極々狭い範囲を指し示しても、人は同じ物を見ない。
たまたま、同じになる可能性はあるけれど。
それはたまたま。

此処見て!と指をさす。

ある人は、指を見る。
ある人は、爪を見る。
ある人は、指がさす先の空間を。
またある人は、指がさす先の対象物の全体を。
またまたある人は、対象物の極々一部を。

「此処」と送り手が限定しても、受け手の数だけ受け取り方は違う。

三歳児が見る空の「青」と。
老人が見る空の「青」と。
違うの。

同一人物が、過去見た原器の色と、今日見る過去見た同一の原器の色も。
違うの。

人は自然で出来ている。
ゆえに絶えず変化する。
目は常に同じ状態じゃない。
同じ色と認識できるのは、脳が同じ色と認識するように補正するから。

そう。
同じじゃないものでも、脳は同じと「補正」する。
そしてその「補正」は、「補正」された当人には分からない。
脳が生んだ世界でも、脳を抱く当人には全て本物の世界。

偽の記憶も。
本物の記憶も。
記憶する本人の脳内で、どちらか一方が本物とみなされたら、本人には真偽の確認ができない。

それが脳の仕組みだから。

今の自分には見える物が、やがて見えなくなったとしても。
見えなくなったことを脳は否定し、見えるはずのない物を脳内に作り出す。

わたしが見る月と。
あなたが見る月と。
違うの。

自分に見えるものが、誰も彼も見えるとは限らない。
聞こえるも、同じ。
感じるも、同じ。


~~9月13日の呟きより