思考錯誤屋の呟き

「日々の事柄」を適宜更新中。

歳月の重み

生き物に寿命があるように、人の作った物にも寿命がある。
まぁ、生き物の中には死を知らないモノもいるけれど、それはそれとして。
商品や製品の寿命ってのは、使った時、使って無い時で変わる。けれど無限は無い。

物を作る時、食べ物なら消費期限。家電なら法で決められた年数を考慮してある。

で。
その年数を超えるとどうなるのか?
食べ物なら腐敗や食感の問題、家電は不具合や破損が増える。
その危うさは一次関数のような直線じゃなく、二次関数の曲線で、時間が経つほど増すのね。

設計上の耐用年数が四十とか五十年くらいの建物なら、五割増しの六十年くらいが限度で。
それは修繕して無限に延ばせるものじゃない。
周りを見れば、日本の高度経済成長を支えた公共施設は、そろそろ寿命の物が…。

原発も、そう。
安全を担保した設計寿命は四十年。その年数は、動いてようと止めていようと同じで。
メンテナンスをしっかりしたとしても六十年。
政府発表は、止めている期間を除いているけれど、それって科学的根拠は無いのよね。

物干し竿って、外で使うことが多い。
その外で使う物干し竿は、雨のも風の日も晴れの日も、使われたり使われなかったりするけれど。
風雨や紫外線の影響で、鉄なら錆たり、樹脂にヒビが入ったりしていずれ寿命となる。

洗濯物を干そうが干すまいが、その回数に関係なく。
歳月が寿命を決める。

無限に使える物なんて、何処にも無いのにな。


~~4月4日の呟きより