思考錯誤屋の呟き

「日々の事柄」を適宜更新中。

そ~そ~。

“世界”ってのは、自分を含めた大きな時空間なのだけど。“自分が認知できる範囲”でしかないのよ。
百億光年も離れた星で何が起きているのか?誰にも分らんし。だいたい、向こう三軒さんの朝食が何かだって分らん。
だから“世界”ってのは案外と狭いし、中心は自分。
自分が解る範囲が世界。

その、くっそ!狭い世界に。
虫の好かない他人を住まわせて、そやつのことをあ~だ、こ~だと腹の虫を沸かすなんて、もったいない。
“毒”の付く身内やら知人やら、“毒”が好きなら構わんけど、嫌いなら関わらない。なんなら斬り捨て御免ってことで。

病気や怪我で何もできない時。
病気や怪我を「しないこと」や「できないこと」の言い訳にしていないことは、病気や怪我をした人ならおそらく分かるだろう。
でも、さ。
分からない人も居るのよ。そこは永遠の溝。

羽の無いモノに飛べ!と言って飛べる訳が無く。
鰓の無いモノに水の中で生きろ!と言って叶う訳もなく。
物理的にできないことはある。
でも、さ。
だからと言って、拒否や拒絶するのは、なんだかな。
脳味噌の味噌は、お出汁じゃない…と思いたい。

世界の中心に自分がある…からと言って、なんでもかんでも自分に都合よくことは進められない。
だいたい、さ。
自分の意思で、心臓を止められないでしょ?
できることは、そんなに多くない。
でも、やれることは割と多いのよ。

世の中。
今、やれることを後回しにする人と。
今、やれることはやっちまう人と。
これもまた、永遠の溝。


~~5月27日の呟きより