思考錯誤屋の呟き

「日々の事柄」を適宜更新中。

パレスチナ問題で。

「ジェノサイド」という言葉を使う人は、当然、ルワンダの悲劇の時も「ジェノサイド」と。
使っていたわよね??

パレスチナ問題の国連決議でヨルダン案が通ったのは、ようやく国連が国連として機能したからかもなぁ。

1994年のルワンダツチ族が、僅か100日足らずで80万人以上殺されても、国際社会は虐殺を止めなかった。
ナチスが行ったホロコーストに対する反省から、ジェノサイド条約が作られたのに。
ホロコーストで亡くなった人は1933年からの12年間でおよそ600万人。
ルワンダは僅か100日足らずで、80万人。虐殺が終わるまでアメリカを始めとする常任理事国は「ジェノサイドと認めなかった」という事実。
当時のニュースは今も脳裏に焼き付いているし、国連における欧米人の露骨な人種差別の二枚舌、自分の無力さ、刻一刻と潰える人々の命の軽さが、至極苦い。

人間の脳は、死の瞬間に脳内物質を解放して、死の恐怖を打ち消し、それまでの痛みも苦しみも全て無くしているらしい。
『らしい』というのは、過程としては確認されるのだけど、なにぶん被験者は亡くなってしまうから、直接どうなったのか確認ができないため。
まぁ、それはともかく。
時間にしておよそ20秒。
人が、生から死へ移行するにはそれだけの時間が必要な訳で。
その20秒を、人生最後の時を奪われた人たちの魂は、安らぎを知ることなく、潰えたのだろうか?
原爆によって数秒で蒸発してしまった人たちの、死を自覚することなく消された魂を。
知ることはできない、けれど、想うことはできるから。
次の一発が落とされないように。


~10月28日のスレッズより