人が持つ固有の技術を、文書化し手順書やら何やらに置き換えたところで。
後々の人が。
文書を読み解けない、とか。
文書に書かれている事象を知らない、とか。
文書から省かれてしまった事柄を想像できない、とか。
いろいろ致命的な問題はある。
ある…のだけど、この問題そのものが取り上げられるのは少ない。
書物だけで、人は賢くならないし。
情報だけで、AIは賢くならないし。
なんだかね…。
生成AIが不気味の谷を超えても、谷が無くなる訳じゃないのよね。
写真に凝っている方ならご存知とは思うけれど、どんなレンズも歪みがあって。それ自体も写真の“味”ではあるのだけど。
生成AIの作り物からは、その“味”が感じられない。
ついでに言うなら、場の空気感も生成AIの作り物からは感じない。
爬虫類や魚類を生成AIが作った物は、おっ?とは思うけれど。
毛のある動物や植物の毛状突起を生成AIが作った物は違和感しかないし、人物なら瞳の小刻みな動きや表情筋周り。
まぁ、いずれも計算をすればどうにかなるのだろうけども、計算処理やデータは膨大になるだろうし。そこまでやっていると電力喰らいに拍車がかかるのだろうな、きっと。
そこそこの年代の人なら、さ。
矢追純一氏のUFOものとか、同じ頃の心霊ものとか。
さんざん眉唾系を見て来たと思うのだけど。
あれらのいかがわしさと同じ臭いを、生成AIものに感じないのかな?
あたしゃ感じるけども…。
~12月26日のスレッズより