思考錯誤屋の呟き

「日々の事柄」を適宜更新中。

無垢なる子供達へ

14歳の子供が「死」を求めると、所謂!オトナは「まだまだこれから、人生捨てたものじゃない」とか言うけどさ、けどさ!
人生に逆転なんて、そ〜そ〜無いね。…と言うよりも、こればかりは未体験だから「この先必ずある」なんて、到底言えない。
どうしてオトナは、無責任な事を言えるのだろう。

じゃぁ、何故生きているのか?
それは、死ぬのが面倒だから。
生きた証の廃棄から始まって、それでも残るであろう遺品の整理やら、遺された者達が負う諸々の役所の手続きやら…。考えただけでも、ゾッとするね。

生きている“意味”なんて、早々無いさ。
生きる“意味”なんて、所詮、後からの意味付けに過ぎない。
死に対する恐怖なんて、ちぃっとも分からないが、生きる事に対する罪悪感ならよく分かる。
それでも生きなきゃいけないなんて、誰が言えるのだろう。
まっ、それだから、面白く無き世を面白く!か。

“死にたがり”の君へ言えるのは、「死んで楽になる…なんて保証は何処にも無い」って事さ。これは言い切れる。

鬱を勘違いしている人が多いから、繰り返して言うけれど。
あれは、どん底の方が精神状態が安定しているのです。
ちぃっと快方に向かった位が、一番危ない。
快方に対する気力がふぃっと途切れると、自己消滅への希求がとても強くなり、最悪?死を選ぶんだよね。無意識のうちに実行する事も。

だから、中途半端な快方?状態は、死に対して一番近い状態と言える。
これは実体験済みだから、よく分かる。
因みに。
私の死を食い止めた?のは、生に対する欲望ではなく、死に対する絶望が強かった。それだけ。

以上。
病みアカウントさんへのメッセージでした。

まぁ、でも、しかし、なんだ。
自分よりも短い命が自らの行動で命を絶つのは、(直接ではないが)親の立場として悲しいよね。

日常の一コマさえ助けられんで、ごめんな。


〜〜4月12日の呟きより