愛していると、大好きな感情はニアリーイコールであって、イコールではない。愛の定義は広く大好きと被るところもあるが、イコールではない。趣味を愛するのと、憧れのミュージシャンを好きで居るのは違う。けれど双方とも「愛している」と言い「大好き」とも言う。
閾値はあいまいなれど、存在する。
目の前のヒトを愛しながら、抱きたいヒトの夢を見るのは、昭和歌謡にもあったね。
愛と恋は似ているけれど違う。
愛と言う字は心が真ん中に在り、包まれている、包んでいる状態であって、恋と言う字は心がぶら下がっている。
相手を包み込んだのが愛で、誰かを射止めて手繰り寄せているのが恋なのかも!
既婚者に恋しても、いいと思うんだよね。
相手に心がぶら下がっているのか、相手に心を奪われたのかは分からないけれど。
愛してもいいと思う。相手の護っているものも全て包み込む器量があるのなら。
だけど其処に独占欲があると、邪な感情が生まれ、トラブルが生じるのだろうね。
性欲と情愛は違うのに、傍から行為そのものを見ると同じに見えてしまうのは、心が見えないからなのだろう。
それは互いの心が見えないのと同じかも知れない。相手を求める事が果たして自らの欲なのか、それとも相手への情なのか?
明確に分けられる人は、存外少ないような気がする。
所謂、カラダの関係って、何処に線引きがあるのか知らん?
〜〜7月24日の呟きより