思考錯誤屋の呟き

「日々の事柄」を適宜更新中。

100メートルを10秒で走るってのは、

肉体の鍛錬だけでも難しいだろうが。
多くの人ができることを、できない人がいるのは知っているし、自分もそういったことがあった。
でも。
生物の脳という器官は割と柔軟に で、同じ訓練を繰り返すことで新たな回路が組まれる…とか。
脳梗塞で半身不随となった栗本慎一郎氏が、鏡を用いて脳を騙すリハビリを繰り返して、機能を回復させた例もあるし。
学習障害を独自の方法で克服したバーバラ・アロースミス・ヤングさんのことは、本にもなっている。
やり方は個々に違うし時間もかなりかかるけれど、やり続ける限り脳は新たな回路を組む。
やり続ける限り…。

二十代の頃は、日常のくっだらないことさえ、やたら覚えていた。
三十代の頃は、業務メールを書きながら、電話の応対をして、ついでに他のことも、ってことをやっていた。
四十代に、二度目の鬱を発症し今に至るが。
二十代、三十代でできていたことは、今もできない。
できないが、まあまあ、日常的なことはできるところまでにはなっている。
回復、ではない。
回復、はしていない。
新たに、覚え直した。
鬱が酷い時、知識としてITのことは残っていたし測定器や道具の使い方やらは記憶していたが、実行ができなかった。なんなら階段を降りることさえままならくなるくらい、日常のいろんなことができなかった。
まぁ、一つずつ。
新たに覚え直した訳よ。
身体は覚えていたから、そこそこ動くのだけど、脳との協調ができなくなっていたから、手足を意識した途端、進むも退くもままならなくて動けなくなっていたけれども、それを地味に、ひたすら地味にやり続けて、今に至る。
きっと脳内に、新しい回路が組まれたのだろうな。

できない。
やれない。
だから、
やらない、のか?
それとも、
やりたい、のか?
前者は、そこらにうっちゃっておいて。
後者なら、知恵を絞るし、力も借りる。
なんだかんだ言っても、基本はここなんだよな。。。


~12月9日のスレッズより