思考錯誤屋の呟き

「日々の事柄」を適宜更新中。

じ・あたま

誰かの物を奪う。
その能力が暴力的なものならば、その有り余る力を守る方に使えないだろうか?奪う対象の誰かを。他の奪う奴らから。
恐らく、豪族や武士、騎士の成り立ちって、こんなことろのような気がするのさ。

暴力を揮うのが得意な者に、平穏なことをさせるのは難しかろう。
人を騙すのが得意な者に、誠実さを求めるのは苦しかろう。
人の物を奪う者に、物を生み出させるのは厄介だろう。
でもね。
それら者たち全てを排除しようとする者に、平和を生み出す力があるとは、到底思えないのさ。

世の中には、「適材適所」という言葉があるのよ。
平和を求める人が、知っているかどうか?
実践しているか、どうか?
直接は判らないけれど、なんとなく、出来ていない感じがするの。「適材適所」を。

「悪」とされる力だって、「悪」に用いなきゃいいのよ。
「善」だって、振り翳すと碌なことがないのだから。

なのに、排除一方。。。のように見えるの、世界は。
ステレオタイプが満ち溢れている。
でも、私もその一人?一人なのだろうな。

賢い人って、とんと見なくなった。
そんな気がして。

優しい人は、居ますよ。
でも、賢い人は、何年も会ってない。
思い出せないくらい、会ってない…気がする。
思い出せないくらい、記憶が劣化しているかも知れないけれども。

何億、何十億、何百億、、、、何兆もの資産を有している者たちのほとんどが、世界を回してないよね?
回しているのは金融市場ばかり。
たまに、ごくごくたま~に、「寄付」という名で施しをする者もいるらしいけれど。
その者たちが抱える資産の何百分の一にも満たず…よね?

お金を吸い上げる。その力がある。
けれど、活用する力は乏しい。
それが悪いことではないけれど、良いこととも思えない。

賢い人や~~い!!!

「優れた者たちが国を治める」という発想の者がいる。
違和感を覚える人は、何処にだろう?
ちなみに私、「優れた」に感じますけども。

治めるのは「賢い人」であって欲しい。
あざとい人達、ではなく。


~~10月17日の呟きより