思考錯誤屋の呟き

「日々の事柄」を適宜更新中。

なんかさぁ。

年寄りを見ると、そこに(生きているかも知れない)自分の姿を重ねてしまう訳よ。
老いなんて、漠然としか捉えてなかった若かりし日。
どんなモノにも、終わりはある。
そんな当たり前のことなのに、頭で分かってても、心は拒否している。
なんでかね?

心が肉体相応に老いるものなら、世の暴走ロージンは減るのか知らん?
老けたな。←自分

歳を重ねて分かったのは、程よく身体能力が落ちるってことはないのね。
ある日、一気にガタが来る。
油が切れたかのように、ぎこちなく。ネジが外れたかのように、ピントは合わず。
次は、どの機能が??

老いが漠然としていた頃は、ピンピンコロリが理想とは?!と思ったものだけど…。
理想だわ( ̄∀ ̄)

余りある力を、バカさだけ!に使っていた若かりし日。
あの力をもう一度!とは思わないが、実に勿体ないことをしていたものだ、とは思うね。

VMAXをもう一度所有して乗り回したいが、その時、体力はあるだろうか?

歳を重ねると、身体が言うことを聞かなくなるように、心も脳の言うことを聞かなくなろのだろう。
その脳とて、歳と共に機能不全に陥る。
何が正常のままで、何が使えなくなるのか?
意識が朦朧としても動く身体と、動かない身体に閉じ込められる意識と。
二択では、ない。
しかし…。

この先身体機能が落ちても、心だけはしなやかでありたい。

鬱を克服しきる前に、老化現象に急き立てられる。そんな感じさ。

不惑の年」を超え、「不惑」となった者が身近に居ないのだが、世間には居るのかも知れないね。

そこの!半世紀を生きた方!!
「五十にして天命を知る」そうだけど、天命、知りましたかー???

身体能力の限界。
思考能力の限界。
これは、やりゃ判る。誰でも。

思想能力の限界。
こっちは遠い彼方かと思っていたが、案外、身近にありそう。
そんな気がする。

親を嫌う子どもの心情って、それなりに分かる気がするのよ。
私も親を嫌っているから。
子に嫌われる親の心情は未だ経験していない、…と思いたい。
でもなぁ、そろそろ思春期。反抗心も目覚めよう。
それで正常。それが正常。
子に嫌われてからが、親としての試練なのかもな。

 


~~5月18日の呟きより