思考錯誤屋の呟き

「日々の事柄」を適宜更新中。

とどの“フン!”つまり

鬱が酷い時。
長いこと、子どもらを見守ることが出来なかった。
長いこと、身の回りのことが億劫で。
長いこと、いろんなことを触らなくて。
それでも、家族を養わなくてはならない訳で。
幸い?身体は動かせたから、只管、日雇いの仕事をしていた。

今は、かなりマシで。
仕事も、かつて得た知識を活かした専門職。
掃除もするようになった。
けれど。
子どもらの成長は、断片でしか見ていない。
もう少し。
見守っていたら。
もう少し。
触れていたら。
それが、悔い。

いつ止まってもいい。心臓。
遺された家族?
それは、家族の、自身の問題。
でも動いている。心臓。
だから、掃除する。
だから、仕事する。
だから、教えられるものは、教えなきゃいけないことは、伝える。
細胞が「動け!」と。
心に命じる限り、は。

いき、してりゃあ、いいのよ。
動けるなら、動いていりゃいいのよ。
誰かのためになるのなら。
生きる目的?
無くていいのさ。
生きる意味?
はなから、無いのさ。
のほほーんと。息して。
ぽつぽつと。伝えて。
そして。息して。
心臓が、飽きるまで。


~~11月27日の呟きより