思考錯誤屋の呟き

「日々の事柄」を適宜更新中。

紙上の喰う論

冷静に。至極冷静に突き放して、ね。

古来の人は、

雷に
大樹に
荒れ狂う海に
人を飲み込む河に
帰り道を見失う山に
月の満ち欠けに

大地の揺れや
陽の傾き
雨の囁き
星の瞬き
大地の豊穣
襲い掛かる野獣

それら全てに
神の息吹を感じた、と。
私は思うの。

人は、
自らの、力の限界を知り。
知力の、及ばぬことを知り。
祈りの、か弱さを知り。

ゆえ。
自然を崇拝するようになった、と。
神として崇めるようになった、と。

自然界に存在するのが神?

ではなく、
人が、見出だし、創り上げたのが神じゃないか?
と。

星座の世界のように。
神話の世界のように。

やがて一部の人は。

それら自然を、
“見た目上は”支配するようになる。

その驕りと高ぶりと。
力(←多くは暴力)を支配する者達の欲と。
いろいろと、いろいろと思惑が絡んで。

まだ多くの人が崇めている自然を。
恰も、自分達選ばれし者が自然に近い存在である。
神に近しい存在であると。

神の名を語り。
人々の自然への虞を、神の力と。
その神に近しい存在である自分達を、絶対君主とし始めた。

そんな気がしますの。

言ってしまえば。

一部の力(=暴力)を有する者達の人の欲が、
それまでの

自然イコール神
を、
自然ノットイコール人工の神
へと転換した。

人が、神を編み出した。と。

自然が切り離された、人工的な宗教。
支配する者に都合の良い、宗教。
暴力装置を内蔵する、宗教。

多分、きっと。
今日の宗教の源泉は、ここいら辺、じゃないのかな?と。

それから後は。
為政者の都合と思惑で、支配される者達が納得し易いように。信じ込むように。信じることで為政者の地位が安泰となるように。なった。

人が、神を、創った。

私は、そう思うの。

だから、宗教には権力と暴力が内包されている、と。

自分達が信仰するもの以外は、排除。
その信仰に、教義に反する者は、粛清。
制裁と言う名の暴力を内包し、肯定している。

宗教内の争いと。
宗教間の争いと。

それらはみな、人が生み出したものだから。
欲望を神格化したものだから。

どんな宗教にも。
階級と言う差別があって。

でも、それが正しいことと。
信仰する者たちは信じていて。

表向きは、平穏の為。
内情は、差別だらけの選民思想

差別と権力と暴力と欲望の集合体。
それが、宗教。
そして、麻薬。

こんな感じ。
私の宗教観は。

人は、神に創られた。
のではなく。

人が、神を創った。
のよ。

その神に。神々に。
救いを求めるのは、お門違い。
そんな気がして…。

ごめんなさいね。
あくまでも、私の宗教観、だからね。

もしかしたら、本当は神さまが在る、のかも知れないし。

でも。私。
視たことも、聴いたことも、ましてや触れたことも、ないから。


~~10月21日の呟きより